2010-03-06

常用漢字表改定の2

前回、「改訂」のまま気づかなかつた。「改定」が正しい。こんなザマで意見をするのも内心忸怩たるものがあるけれども、意見は意見。
なぜ楊逸氏を選んだのか。考へてみた。たぶん、漢字はもともとは中国からやつてきた文字だから、と読売新聞のこの記事の担当者は考へたんだらうね。しかし、それはきのふけふの話ではない。This Is a Penなんかよりもまへ、コンセプトだの、インフラだの、イミフな外来語よりも、ずうつと古いんだぞ。
漢字が日本に来たのは5世紀から6世紀ださうだ(wikipedia=日本における漢字)。既に1,500年ものあひだ日本で独自に使はれ来た漢字について、1956年に簡体字になつてから(恐らく)生まれたであらう中国の人に聞いても仕方あるまい、とは考へなかつたのだらうか。聞かれたはうでも返答に困る。が、実に堂々と、いやヌケヌケと──少なくともオレは楊逸氏よりも長く日本語を話し、漢字を使つてゐる自信があるので、敢へてさう言はせて貰ふ──発言してゐる。
「中国は識字率を上げるために簡体字にした」──が、そのことで実際に識字率は上がつたのかどうかには触れず、またそれが正しいことだつたのかどうかには言及しないまま、「日本は従来の字体への執着が強い。これは、いいところでもあり、悪いところでもあると思うが」なんて言つてる。「悪いところ」を具体的に上げてくれ。文字を大切にすることで悪いところはどこなのか。一瞬、戦争で負けたのは漢字のせゐだから漢字なんてやめてローマ字にしろ、だの、フランス語にしたらどうか、なんて能天気なことをほざいてゐた山本有三や志賀直哉とおんなじだなあ、と思つてしまつたが、識字率といふものが、それほど重要なのだらうか。どうでもいいとは思はない。思はないが、字を簡単にして覚えやすくするのでなく、祖先から伝はつて来た文字でたくさんの書物も残されてゐる、その文字そのものを略字にして読みにくくするのではなくて、逆に教へ方、勉強の仕方を工夫して、よりたくさんの字を読み書きできるやうに考へるのが識字率を上げるために執るべき方法ではないのか。教育といふのはさういふことを言ふんぢやないか。
挙げ句には「いっそ使い勝手がいいように、例えばしんにゅうも、点一つに統一したらいい」だと。あなたに言はれたくないよ。それに「しんにょう」だし。岩波(うちにあるのは第3版)を引いてみろ。「しんにゅう」では出てない。最後に「▽「しんにゅう」とも言う」と出てる。新明解とか、その辺の、言葉は時代とともにかはるんだから、いまかう言ふんだから、それでいいよね、的な、無責任な迎合辞書は「しんにゅう」で引けるかも知れないが、岩波は違ふ(いまの版ではどうなつてるのか、……ちよつと不安)。絶対「しんにょう」が正しい。高校のときの現代国語の岡田先生が言つてたんだから間違ひない。
それに「しんにょう」はもとは点二つだ。当用漢字に入れる字だけ一つにしたから面倒になつたのだ。逆だよ。一つのもあれば、二つのもある、ではなくて、もともと二つで一つの字を作つちまつたから二種類になつた。点一つ減らしたくらゐで日本では識字率がどれだけ向上したんだらう。行政の体質と言ふのか、思想のなさがよく判る。減らすと決めれば、点一つでも減らさうとする。頑固なんぢやない、頑迷なだけ。垢抜けねえよなあ。田舎侍が天下を取るから、かういふことになる。いまも事業仕分けの第二弾だ、なんて、はしやいでる議員がゐるけれど、まへにも言つたとほり、先づあなたがた国会議員が議員として優遇されてゐる点を見直したうへでやれよ。てめえの首を洗つてからだろ。ガキぢやねえんだから、そのくれえのことは判るだろ。──話が逸れてしまつた。
更に「鬱」の字が試案では追加されるさうなのだが、「この字を正しく掛ける人はほとんどいない」し、「そんな字は多数」あるから「字の原形をとどめたまま、思い切って画数を減らしてもいい」「難しすぎて消えてしまうなら、略して残した方がいい」だとさ。思ひつきで、無責任なことは言はないものだ。簡単にすることで便利になることはあつても、それで失はれるものもたくさんある、といふことを考へてみてほしい。さうやつて失つて来たものが、いまの日本には多過ぎる。遠まはりしようよ、手間を掛けようよ、ゆつくり歩かうよ。Enoが昔Ambientを始めた頃に言つてたみたいに、時代はそんなに急いでなんかゐないんだ。急いで突つ走つた先にあるのは死だたけだ、とH・ミラーも言つてるし。