2012-01-14

なんでいまさらジャズの話をしたのか

と言ふと、たまたま実家への往復で車で流してゐたiPodの曲が、ロックからジャズになつたことがあつて、全然音が違ふと感じた。その感じはうまく説明できないと思ふのだが、やつてみよう。
たぶん流れ始めたのはJohn ScofieldかMichel Camiloだつたと思ふ。そのまへに流れてた曲が思ひ出せないけれども。John ScofieldもMichel CamiloもiPodの中にあるJazzつていふプレイリストの中で流れてゐるときは、それぞれ心地よく聞けるのだ(試したので間違ひない)が、たまたまそのときは一つのプレイリストにロックもジャズもポップス風の懐かしいヒット曲もMusic storeで無料ダウンロードした日本のヒップホップもごちや混ぜに入れてシャッフルして流してゐたから、さういふ事態が生じたワケだらうが、ジャズがひどく詰まらない、退屈な、無色の音の固まりみたいに感じたのだ。なのに、ちよつと気取つた、仲間意識の強い馴れ合ひ風の、独りよがりな音楽に思へた。ひどい空腹のときに飲む緑茶、煎茶みたいな心地悪さ(といふ言葉があれば)、不快さだつた。
それは若さ、幼稚さ稚拙さを含めた若さと、直感的で単純、開放的だけれども粗暴、屋外向きの音楽がロックだとすれば、どちらかと言へば小さなホールだとか、薄暗いパブやクラブで酒でも飲みながら聞くのが向いてゐるジャズとの違ひかなあ、と。
ま、かうして打つてるあひだも敢てJohn Scofieldを流しつつの作業で、早い話が要するに演奏技術の巧拙も含めたジャズの面白さが分つてゐない、旋律しか追へない耳と感性しかオレが持ち合はせてゐないか乏しい、ジャズのスリルといふものを感じられない、といふことなんでせうね。