2012-04-01

日本史の話

と言つても主に井沢元彦「日本史集中講義」のことで、ざつと読み返してたらいろいろ疑問が沸いて来た。P66「話し合い絶対主義」は日本の国家が生まれた頃からあつた、と。それが井沢氏の大好きな聖徳太子の憲法十七条にも書かれてゐるから大事なことだ、と。さう、それは宮本常一「忘れられた日本人」にも井上勝生「幕末・維新」にも出てくる。それに対してP348になると逆に、そんなことをやつて来たから何も決まらない、改革が進まないんだ、と言ふ。どつちなんだ。次、P77「穢れ」に触れ、穢れの定義は「実際には汚れていなくても、ある特別な場合において、人やものが汚されたと感じる場合がある」それがその正体だ、と。霽れと褻と言ふ、その褻が枯れるといふ意味ぢやないの?玉村豊男の「日常の極楽」にそんな説明があつた気がする。いまは「霽れがれ」ではないか、といふ指摘もあつたが。
P272「外国にはそうした身分制度がないということを、日本の先覚者たち、具体的に言えば島津斉彬や勝海舟といった人たちは知ったのです」。?英国には未だに労働者階級といふのがあつて、ジョン・ライドンは労働者階級の学校に行つてた、と自伝に書いてあつたよ。アメリカだつて奴隷解放はまだぢやないの?リンカーンの奴隷解放宣言は1863年ださうだから微妙だね。P296「鎖国政策の影響」。鎖国は鎖国令は出してないけど政策ではあつた、といふことだつたかな?
最後に聖徳太子は実在しなかつた、といふ話に対して、P68で触れてゐる。仮にゐなくても「憲法十七条は永久に不滅です」とは言つてないけど、かういふ思想が古代から存在したことは否定できないさうです。