2007-02-08

科学と非科学

1月31日付の毎日新聞朝刊に「科学と非科学」といふタイトルで始まり、それが2月7日に第2回。全部で何回なのか解らないけど毎週水曜日の朝刊に載るこの記事がちよつと面白さうなのだ。この記事のスタート理由は、ずゐぶん前にHP「月刊彦七新聞」に書いたことがある(脳を休める云々といふ内容で、余計な知識を吹き込んで置きながらよく言ふよ、と呆れちまつた)「あるある大辞典」の捏造騒動(騒動にしてる側のマスコミがかういふ書き方を平気でする無自覚さにも呆れる)で「科学と私たちの関係を改めて考えさせる出来事だつた」からだと言ふ。これもなかり雑な発言だが、その前に冒頭「科学の成果や技術は暮らしに入り込み、私たちはその恩恵の中に生きている。一方で「科学的」といわれるものを信用しすぎる面もある」(無断引用なので訴へられるかも知れないが、そのままでないと伝はらないから)──一体何時代の人が書いてんだらう、と疑つてしまふね。この記事を書いてる人は幾つなのだらう、明治生まれかい?それに少なくともオレはこの中の「私たち」ではないと言ひたい。記者の個人的な考へを「私たち」で括るのはよせ。科学は生活手段として日常生活に入り込んでるが、暮しといふ人の営みとは区別したはうがいい。車、家電製品、携帯電話、パソコン、医療、……など飽くまでも手段に過ぎない。記者はそれを恩恵と言ひ切つてしまふが、それがどれだけ人間をダメにしてるか。あなたは19世紀の人間ですか?金は手段だけれども目的になつてゐないか。手段が目的になつてゐる。太田のイオンなんかへ行くと、あれを買へ、これを買へとばかりに品物が溢れてゐる。需要と供給が正常な関係ではなくなつて久しい。未だに大量消費を強いてゐるのはなぜか?この状態が改善されなければ科学云々なんてことは言つても無駄だろ?人間の神経が病んでる、オレ自身も含めて。──記事のことが書けなくなつた。