2013-10-23

間違へ

たまたま以前から興味はあつたけれども、半分どうでもいいと思つてゐて、たまたまBookOffで見つけたから買つて読んでみた、「マーフィーの法則」といふ本。読書日記には読んだ本として書いてない。ちよつと面白い言ひまはしはあるけれど、読んだとは言へないな、と思つたほど、中身は余りない本だつたから。
ただ、P106「ヤングの法則」のところで「間違えをきっかけとしている」つて書いてあり、これが引つ掛かつた。「間違い」ではないか。「間違え」は変だらう。逆に「間違い」でない理由は何だ?
「間違い」は名詞だから活用しない。だから変化しない。意味を考へると、名詞として使はれてゐるので「間違え」はをかしいんぢやないか。
例へば「間違う」は動詞で自他動詞で四段活用する。岩波国語辞典第三版(既に第七版の新版が出てゐるので、早く購入したいとは思ふのだが、これでも充分役立つので、……)「動詞活用表」によれば、「言う」と同じやうに「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」で、それぞれ「わ・い・う・う・え・え」と変化するのだと思ふ。だとすると「仮定」か「命令」としての「間違え」になるけど、無理がある。
念のため、「間違える」の変化だとすると、これは下一段活用する。「得る」と同様に「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」で「え・え・える・える・えれ・えろ・えよ」と活用する。と「未然形」か「連用形」といふことだ。これもをかしい。
高卒のオレが日本語としてをかしいと思ふやうな翻訳をしてほしくないなあ。小学三年から英語を教へる、なんてことを考へるまへに、日本語をみつちり教へたはうがいい。英語ができいなと海外へ出て仕事ができない、といふ企業の論理で教育を考へたらダメでせう。先づ日本に住む日本人としての自信や誇りを持ち、そのうへで海外だらう。どうしやうもない明治でさへ、自信は持つてゐた。第二次大戦の敗戦以降の日本は更にをかしくなつてゐる。