2014-07-28

梅雨明け

しばらく新聞を読まないでゐたせゐか梅雨明けを知らなかつた。22日に気象庁は梅雨明け宣言をしたのださうだ。考へてみれば、考へてみるまでもなく、この梅雨明け宣言、梅雨入り宣言なんてものはサラリーマンにとつては実はまたつくどうでもいいものだ、といふことだ。鬱陶しい梅雨が開けて夏本番、なんていふ季節の変化を味はふことくらゐだらう、もちろん猛暑を味はふといふ意味ではないが。
序でに言ふと久し振りに読んだ新聞だが、読まなければよかつた、と思ふ記事と読んでよかつたといふ記事が一面にあつた。どつちでもいい記事もあるが。白鵬が30回目の優勝をした、さうか、なるほど史上3人目か。これは読んでよかつた。殺人の話はホントに本の中だけでたくさんだ。テレビ欄を見ると案の定、各局、この事件を取り上げてゐる。深刻さうな顔を作つて興味本位に家族や近所の人たちを突いてまはり人の心をズタズタにし報道の義務だ権利だと宣ふワケだ。
「毎朝、毎朝、ああいふものを読んでゐたのでは精神衛生上、頗る有害である。予防医学的見地から言へば、新聞と称するものを一切読まぬことをお薦めする。それでも一向日常生活に支障を来さない。たとへば日本の政治、社会に関する重要問題について、考慮に値する正確な報道、解説が出てゐたとしても、それ程のものは月に一回くらゐしか出遭はぬであらうし、たとへそれを読んだとしても、それ等は吾々一般市民にはどうにも手に負へぬ事柄でしかない。そんなものを見逃さぬ為に、他の何十もの虚偽の報道、解説に騙されたり、或は騙されぬが故に腹を立てたりしても無意味であり、有害である。新聞を読まぬ事によつて生ずる唯一の支障は、仲間同士の附合において相手方の話題に応じられず、除け者にされる可能性である。」福田恆存「新聞に対する最後通牒」冒頭部分。昭和49年11月「諸君」掲載、新潮社刊「知る事と行ふ事と」所収(本文、正字)。
引用が長くなつたけど、これに尽きる。