2006-08-13

差別か区別か

こないだ或る人の講演会を聞く機会があつて、内容は余り覚えてないが、一つだけ気になることがあつた。それは「日本は男と女の言葉遣ひに違ひがあつて、それは差別の一種だ、」といふ風に言つてゐたことだ。日本以外の国の男女がどんな言葉遣ひをするのか不勉強で知らないが、他の国でも男は遣ふが女は遣はない言葉、或はその逆もあるのでないだらうか、と。そして、それは差別なのだらうか、と。区別ではないか。男と女は違ふ。ジェンダーとかウーマンリブとかの話の流れで取り上げた例だつたと思ふが、言葉遣ひの違ひは差別ではない。区別だ。区別といふ言ひ方がをかしければ、男と女の違ひである。ただ、講演者は別のところで、平等といふのは機会の平等といふことで、みんな同じと言ふことではない、と言つてゐたが、それは正しい。それで思つたのは、話が飛躍してしまふが、日本は一時期確かに機会の不平等があり、女子どもといふ言ひ方もし、男が優位に立つてゐるかのやうな風潮があり、それは今も残つてゐると思ふが、それは侍、武士が日本の歴史に登場してからではないか。それと儒教。中学卒業程度の歴史の知識と高校卒業程度の思考力で言ふのだが、武士の登場と儒教が日本にさういふ制度めいたものを産んだのではないか。それは明治以降、官僚といふものに繋がるのではないか。この辺をもう一度しつかり勉強したいものだと思ひつつ、後回しにしてゐるうちに年を取つてしまつた。序でに言ふと、老若男女も区別だよね。