2006-07-17

死んで行つた子ども

なぜ殺したのか。我が子を川に突き落とし、親しく遊んでゐた近所の子どもの首を絞めて殺す。なぜか。それを調べるのは警察の仕事だ。そしてその罪を裁くのが裁判所。……しかし、事件といふのはそれだけではないんだなあ。怖い水の中へ、自分の母親に高い橋の上から川へ突き落とされた時の子どもの気持ちはどうだつたらう。9才だよ。その子の頭の中が、心がどんなだつたか考へると堪らない。可哀相過ぎる。可哀相だなんて言つてはいけない、といふ言葉が川端康成の「掌の小説」の中に出て来る。それは一種の優越感だから、神様でもないのに(「神ゐます」といふ題だつたかなあ)、と。高校時代にそれを読んで以来、この言葉はなるべく使はないやうにして来た。なるほど、確かにさうかも知れない、と思つたから。でも、この子は可哀相過ぎるよ。この子の気持ちが悲しい。痛いよ。南米人に殺されて最近名前を公表し、一審で無期懲役の判決が出た事件の小学生の心は、どんなだつたか。……殺したヤツの気持ちなんか知らねえよ。どうでもいい。そんなことより死んで行つた子どもの気持ちだよ。

1 Comments:

Blogger hiko7 said...

コメントして見たら、どうだつたか?

6:52 午前  

コメントを投稿

<< Home