2008-06-29

まさにそこがミステリなのであつて、

トランクに詰めて面倒な移動をするくらゐなら、どこかに埋めたはうが手つ取り早いし、現実の事件ではそれでも犯人が見つからないなんてことは沢山ある。三億円事件だつて未解決。チャンドラーが批判したのも、まあさういふところでせうね。それでハードボイルド探偵の登場なワケだが、こつちにもやはりチャリは入るので、例へば探偵は撃ち合ひになつても致命傷を受けないのはなぜだ、とか、殴られても治療を受けたりしないのはなぜか、など。ホントらしさ、でいいので、「黒いトランク」がズルいと感じるやうなので、新本格派と呼ばれる島田荘司、綾辻行人なんて卑怯者、噴飯ものだらうね。さういふ形式なのでありますよ。ズルいのは仕方がない。先づ、作者は犯人を知つてゐるんなだから。犯人を決めてある、と言つたはうがいいか。それでアリバイを崩せ、トリックを見破れ、といふ作者との駆け引きと言ふか、その面白さだし、最初から犯人を提示する倒述ものは逆になぜバレたのか当ててみな、と言ふワケですよ。それを楽しむ形式なので。
仰る辺りのことは都筑道夫が「黄色い部屋はいかに改装されたか?」で書いてゐるので、読み返してみよう。
話は逸れてしまふかも知れないが、サリンジャーの「ライ麦畑」の喋り方は不自然で、誰かが聞き取りしてゐるワケでもないのに、勝手にあんなに延々と独白をする設定に無理がある、とオレは思ふけど、ま、いいか、所詮作り物だから、と納得する。まだ読み終はつてないのに言ふのも気が引けるが、シモンの「フランドルへの道」だつて、さう。或る夜、または数日にわたつてジョエルの頭に去来する入り組んだ、時に断片的な記憶の集積の記述はなぜ書かれなくてはならないか。独白は誰に対して行はれてゐるか。またその独り言、呟きの範囲から想像や空想までも含めた現在目のまへで行はれてゐないことを精確に記述しようとするのは誰か。更に、どうして普通の小説のやうに一度読んで呑み込める形を採らないか、など。……おつと時間がない。また後で。