2010-11-29

徐々にインターネットの世界から遠く離れて行かう

ちよつとまへにツィッターを始めたことがあつた。このことは書いたことがあるかも知れない。フォローしてくれる人がゐて、それはそれで嬉しかつたのだが、必ず「なう」といふ、なんだか直接素手で顔にさはられてゐるやうな言葉が書かれてゐたのが厭で止めてしまつた。自分がツィッターにアップする呟きが、排泄物のやうに思へた、といふのもある。最近、世界のネットワークの中はオレのくだらないブログや開店休業状態のHPも含めて排泄物のたまり場、死んでしまつた呟きが山になつた墓場ぢやないか、といふ気がしてゐる。
ホームページといふ吐き出し口ではコミュニケーションが遅いから、今度はブログ。それでも物足りなくてツィッター。どんどん加速させないと満たされない。知らなくても何も不自由しないデータを検索し、何事かを了解したつもりになり、想像力がどんどん欠如してゆくやうな気がするのだ。手紙の文字、文面を読んでも相手の思ひなんか忖度できなくなつてしまふんぢやないか。──さういふ世界と距離を取りたいと思ふ。携帯電話もさうだ。余計な機能なのに、あれば重宝だと感じる。画素数なんか気になつてしまふ。もつと素朴にならう。スローな暮らし。スピード優先の風潮から離脱したい。……さて、言ひたいことが、ちやんと書いてあるかな。