2005-10-16

全部読んだわけぢやないけど、

まあ、かういふ作品を書く人なんだといふことは解つたから、暫くはいいか、と思つてたのに、こないだ渋川に行つた時、BookOffで時間を潰してたら、2冊見付けてしまつた。中町信。どつちもたまたま105円の棚にあつて、片方は文庫でちよつとへたりがあつたけど、もう一方のノベルズは状態がよかつたので買ふことにした。「老神温泉殺人事件」徳間書店。1994年6月刊。
実はケルアックの「路上」が文庫で105円だつたから、釣り銭で5円貰ふなら、なにか見繕つて210円のはうがいいかな、といふ単純な理由で。
ま「路上」はいづれ読むとして、中町信は読み易いのでスラスラと一気に読んだのだが、……をかしい。気のせゐか、読み落としか。説明がないやうな気がする。なぜ苅谷温子が殺されたのか。人違ひだつたことはプロローグに出てる。でも、知らない部屋ぢやないでせうが。なんで苅谷がゐたの?密室トリックなんかより、そつちのはうが大事です。
健太のトリックは、どんなにベランダが好きでも歯医者に行つてた小一時間(偶然早く済んだ「とか」書いてあるし)一人で遊ぶとは思へないけど、まあいいでせう。それよりもなぜ苅谷温子は303号にゐたのか。彼女の部屋は301号。呼んだのなら間違ふ筈がない。人違ひされた、その当人、つまり苅谷が間違はれた人は、そこにゐる筈がないんぢやないの? 呼ばなければ、ゐないよね、どつちにしても。その説明がなければ、この殺人自体が成立しないでせうに。この小説が成り立たなくなる?
終りのはうを読み直したんだけど、書いてない。それよりも早苗さん、些細なことですが、こんな結末近くになつて健太が誰に似てゐたか思ひ出すなんて、都合良過ぎますよ。「目と口許がそっくり」なら会議室で顔を合はせた時にピンと来ないんですか。
気になる「とか」も勿論健在で、読んだことない人は実感がないだらうから、引用してみよう。P16下段「そうです。○○さんと××さんはあの日、群馬県の高崎市に住む著者を訪ねて行ったんです。翌日が土曜日だつたので、老神温泉の保養所まで足を延ばしたとかいう話でしたけど」「△△さんは?」「保養のために、午後から休暇をとって、一人で出かけていたんです。ホテルに着いたら、○○さんと××さんがいたので、びっくりしたとか話していました」
オレはすごく気になつてしまふ。前の「とか」だけなら、そんなに気にならないかも知れない。オレは「足を延ばしたという話でしたけど」でもをかしくないと思ふ。そつちのはうが自然ぢやないかな。「老神温泉とかの」つて使ふんぢやないかなあ。次の「とか」は変だよ。続くから気になるのかも知れない。まあ同一人物が話してるわけだから口癖かな、でもいいけど、他にも刑事だらうが誰だらうが使ふ。
文句ばつかり言つてるなら、読まなきやいいのに、つて思ふでせうが、それでも読んでるあひだは「とか」とかを気にしなければ、面白いんだよね。読み易いし、あんまりメジャーな人ぢやない、つてことも気に入つてるし。