2008-08-08

多くを望まず、慎ましく生きよう、と。

まあ、さういふことのやうだ。「エントロピーの法則」を最後まで目を通し(きちんと読んだわけではない)纏めると、そんなところか。先づ、そもそもの「エントロピーの法則」──これは熱力学の第二法則「物質とエネルギーは一つの方向のみに、すなわち使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた、秩序化されたものから、無秩序化されたものへし変化する」のことだと言ふ。それが唯一正しい法則であることを踏まへたうへで、これまでの歴史的な世界観の流れを復習しながら例証する。ベーコン、デカルト、ニュートンに代表される機械論的世界観が凡そ400年間に亘つた支配して来たこと、未だにさうなのだが、それがいま破綻しようとしてゐること、自動車、トラック、航空機などの輸送形態が持つエネルギーロス、ゴミ処理のために費やすエネルギーロス、軍事費を増やすことで失業者が増えるといふ矛盾、再生不可能な部品で作られるコンピュータとコンピュータ・テクノロジーの人質と化した──コンピータがエラーすれば身動き出来ない人間、医療機器の導入により個人の医療費負担が増えるといふ矛盾、1分間に28人もの人間が餓死してゐること、世界人口の80%は医療を受けられない状態にゐるといふこと、などなど。それを変へ、人類を救ふのが「エントロピーの法則」による世界観だ、と。副題として「21世紀文明観の基盤」となつてゐるけれども、ここに書かれていることは、概ね70年代のニューエイジサイエンスの焼き直しに過ぎない。思ひつく限りで言へば(その中身を凡て理解してゐるわけではないが)、デビッド・ボームの内蔵秩序、フリッチョフ・カプラのタオ自然学、ルパート・シェルドレイクの形態形成場理論、プリゴジンの散逸構造、更にはユングのシンクロニシティ、アーサー・ケストラーの機械論批判とダブつてゐる。……寧ろ、F・D・ピートの「シンクロニシティ」かライアル・ワトソンを読み返したはうが何倍も何十倍もスリルがあつたらう。
新聞の論説みたいに退屈で読んでて眠くて仕方なかつた。