2014-01-03

今年は寝過して初日の出を見られなかつたといふ話とボブ・ディランのことから2014年を始めよう

大晦日に夜更かしして、年を越した2時過ぎまで飲んでたから目が覚めたら9時。まあ、仕方ない。実際のところ、どうしても毎年、初日の出を背に受けて走りたい、と本気で思つるワケぢやないし、だからどうした?つていふ話だ。
ところで渋川から帰つたらAmazonに注文してあつたCDが届いてた。ボブ・ディランのセルフ・ポートレイトとレインコーツ。
ボブ・ディランのセルフ・ポートレイトで思ふのは、おれはこのアルバムからディランに入つたせゐだらう、MP3のデータぢやなくて、CDの実物がどうしても欲しかつたことだ。それで暮れになつてそろそろこれを買つて聞きたいぞと思つたのだ。──で(かういふ長い説明をするのが面倒でblogを続けるのが厭になることがある)、おれにとつてディランは(all the tired horses や quinn the eskimoの)セルフポートレイトから始まる。誰がなんと言はうと。それ以前のディランは歴史上の人物に過ぎない。フリー・ホイーリンや、時代は変るや追憶のハイウェイ61でもない。それらはレコードを持つてゐたし、繰り返し聞いたし、曲は知つてゐても、歴史書と同じで、おれのまへに既にその評価ができてゐたものだから。いい悪いを、好き嫌ひをおれが考へるまへにね。だから逆にこのセルフポートレイト以降の、欲望や血の轍や新しい夜明けやストリート・リーガルは実在する、いま生きてゐるディランのアルバムとして聞いたのだ。
さう、ビートルズもカム・トゥゲザーから始まつたので、それ以前のビートルズは歴史上の人物だし、ストーンズはジャンピン・ジャック・フラッシュまでは実在しなかつたと言つていい。