2016-04-13

改めて感じる驚くばかりの世間の狭さ

きのふ館林で人に会ひ、一緒に飲んだのだが、約束の時間よりもずゐぶん早く着いたので市内を少しグルグルした。人に会ふ機会が極端に減つたせゐもあるだらう、気持ちがうはついてゐたかもしれないし、出掛けるといふ話はしたけど何時に行くといふことまでは伝へてなかつたから家人がやや訝さうにしてゐるやうな気配を感じたといふこともあり早くなつてしまつたのだ。
館林は足利に越して来るまで(計算したら、なんと!)18年まへ1998年まで住んでゐて、なんだかんだで15〜16年暮らしたから、町の様子は或る程度わかつてゐる。建物は変はつてゐても、この道はどこへ通じてるとか、その辺は走りながらでも解つた。
それでたかだか館林に来たくらゐで、ちよつとした冒険、は大袈裟だが、久し振りに大胆な行動だと感じて、それが改めて世間が狭いんだなあ、と思はせた。
勤めてた頃は職場とその周辺、自宅とその周辺を行つたり来たりするのが殆どで、たまに実家へ行くとか、病院へ行くとか、桐生温泉行くとか、大抵は近所で買物や飲食をする程度で、滅多にイオンなどの人混みへは近づかないから余計に行動範囲が狭くなつてゐたなあ、と思つたワケです。両毛地域だけで行きてた、生活してたワケだからねえ。
そんなことを今朝、3kmの散歩(ゆつくり歩いたからウォーキングとは言へないなあ)しながら考へて、かうして自宅の部屋でパソコンに向かつてこのブログ記事を打つてゐると言ふのは、愈々狭いよなあ。ああ、もうどつか遠くへ行くかなあ、宛もなく車を走らせるとかして(基本的にさういふ衝動的な行動ができない質なので困る)。