2017-09-28

戦争の親玉

ま、さういふ曲がある。ボブ・ディランの曲だ。
戦争の親玉であるダイナマイトの発明者の名前がついた賞を貰つて、さあ、どうですか、と聞きたいくらゐだが、なんでいまごろ、またぞろこんな話を持ち出したかと言ふと、吉岡町の図書館で、雑誌のリサイクルといふのがあつて、それでNewsweekのボブ・ディランのノーベル賞受賞を特集した雑誌が残つてゐたので貰つて読み、その中のスティーブン・メカトフといふ人の記事を読んで、まさにそれ、然り、と思つたからなのだ。それで、なんかモヤモヤ有耶無耶してた理由が判つた気がする。
氏はかう言ふ、歌詞と詩は同じではない、と。
さう、さうなんだよ、詩は歌の歌詞とは違ふ。朗々と詩を読むことはあつても、そこにはメロディがあるワケぢやない。それぞれ、おのおの勝手に読む。
でも、歌詞は曲があつて成り立つものだ、と。
だから相応しくない、と。
相応しいかどうかは別にどうでもいいんだけど、さう、どんなにボブ・ディランの歌詞が優れてゐても、それはあくまで曲があつての歌、歌ふものとしての歌詞なのであり、詩と同じではない。
なのにホメロスがどうの、詩は文学だ、といふ話をするのはをかしいよ、やつぱり。
そんで、あの、オレが西脇順三郎の次か、その次くらゐに好きな詩人ディラン・トーマスから借りたディランといふ名前、姓ですか、それ、忸怩たるものがないですかね。
ボブ・ディランは自分を正しく理解してないニセモノですか。