2007-02-13

水に言葉は通じまい

先づ、今朝の記事に不穏当な表現があつたので訂正しました。──で、続けると、モーツアルトを聞かせたバナナ、モーツアルトを聞かせた清酒まであるらしいが、それに就いてどう、とは記事には書かれてゐない。記事を書いた人の考へは曖昧なまま、こつち(読み手)に下駄を預けてるけど、これだけでは考へやうがないでせう。モーツアルトの曲は垂れ流しに的に耳に入つても違和感がないから。職業や年齢、男女の別による統計を取つても、そこに現れる微妙な差は恐らく大数の法則で「モーツアルト効果」の勝ちだらうね。でも、これは科学以前の話ぢやないかい?モーツアルトの曲なら何でもいいのかなあ。それもをかしくないか?山ほど曲を作つてるでせうに。──第2回目は「ニセ科学」。カイワレ大根観察記録の話から始まる。2つの容器に入れたタネの片方は「ありがたう」、もう一方は「ぱか」と声を掛けて育てたら、「ばか」と声を掛けてたはうは育ち方が不均一だつた(担任の目から見れば、どつちも似たり寄つたりに見えるが)と結論付けて、中一の子どもが夏休みの自由研究として出したのださうだ。水にありがたとうと声を掛けると美しい結晶になり、ハード・ロックだと乱れたり結晶しない、と主張する「水からの伝言」といふ本があつて、それを学校で取り上げ、それはをかしいと思ふ母親の周囲には疑問にも思はず、1.「おとぎ話では動物が人間の言葉を喋る(だから水も言葉が解ると言ひたいらしい)」とか2.「水に言葉が解らないと証明出来るか。科学には解明されてないことも多い」などと言つてゐる、といふ話から、或る理論物理学の大学教授が「水からの伝言」を批判して「shine」と書いた紙を貼つたらどうか、死ねともシャインとも読める、と──でも水は文字が読めるとは言つてないんでせうから、それでは凹まないよ、声を掛けると、なので、言葉の意味が解るといふ話だから、……と、またしても取り留めのない記事なんで纏めることも出来ない(と記事のせゐにしてる)が、水に言葉が解るかどうか、といふことなら、ない、と信じる。理解しないと証明出来るかと聞かれれば出来ないけどね。第一、水は考へたり、感じたりするものなの?カイワレなら解らないでもないが、カイワレだつて言葉は解らないでせうに。「ありがたう」のやうに優しい口調で「ばか」と言つても結果が同じなら、意味が解る、つてことぢやないの?どつちにしても、2.は「水からの伝言」を鵜呑みにしてるだけのことだし、1.については正気か?と聞きたいくらゐだ。これを「ニセ科学」と呼んでるけど、科学なのかい、これは?──とは別に結晶にならない水つて、どういふもの?どういふ状態なのかな?……と言ひつつ、明日の朝、時間があつたらライアル・ワトソンの「スーパー・ネイチャア」に触れたいよオ。もう寝る。