2015-03-20

さて、けふは久し振りにちよつと早起きしたので記事を書くぞ

といふわけで、きのふ今井さんにちつとも更新されてゐないことを指摘されたから(もちろんそれもある、読んでくれる人がゐるといふのは張り合ひがあるから)だけではなく、なんだか忙しくてブログの記事を書いてる時間がない、暇がない、といふ風に見られたくないからだ。
なによりも先づ、この忙しいといふ言葉が、つい使つてしまふのだが、実は嫌ひなのだ。立心偏、つまり心に亡と書く。亡は(岩波国語辞典第三版によれば、P1001)「①なくなる。うしなう。②逃げる③死ぬ。なくなる。」と書いてあるやうに、心がなくなる状態を言ふのだと解釈してゐるので、かういふ言ひまはしは使ひたくない、そんなに余裕のない状態だとは言ひたくないのと、逆にこつちにはちつともそんな気はなくても、相手に対して、あなたは暇でいいよな、といふ風に皮肉つてゐると受け取られるかもしれないのが厭だからだ。
で、これはいま気がついたのだが、自分にはもつとできることがある、この程度で忙しい、心をうしなふなんてことはないんだ、といふ自負や見栄もあるやうだ。でも、一番の理由は皮肉にとられるのが厭だといふこと。人の顔色ばかり気にして生きてるから、かういふ姿勢が染みついてるんだらうなあ。
──と、けふはここまで。後は明日の心だあ(は、むかしよく聞いてゐたTBSラジオの小沢昭一的こころのおしまひで小沢昭一が言ふ台詞を無断拝借)。