2008-08-18

確かにボックス型の座席だつた

hiko8さんの言ふ通りボックス型だつた。最初のところだけ読んだのでは解らない、「雪国」の話で、序でに帰郷する場面といふのを探してみたら、オレの持つてる新潮文庫では71頁のなかほどに「山の裾野が遮るものもなく云々、……河岸へ届こうとするところに、水力電気らしい建物が真白に立っていた。」といふところかな(こんなに引用して著作権侵害にならないだらうか)。確かに北橘村のタンクかも知れないが、トンネルを抜けてから距離が余りないやうな気がするんだけど。水上から湯沢へ抜ける清水トンネルから渋川までは結構あるんぢやないか。このあとで製糸工場の煙突のある停車場で停まる。さうか、高崎か。いや、富岡かな?うーん、渋川かもなあ。北橘のタンクかもなあ。
話は変はつて、鮎川哲也。「死のある風景」について吉田健一が言及してるのは「大衆文藝時評」の昭和三十六年十一月のところ(集英社版著作集第十五巻51頁)で、掲載誌が「オール讀物」になつてゐるんだけど、「死のある風景」は講談社から刊行されてる。「オール讀物」は文藝春秋だから、をかしいな、といふ気がして、ちよつと調べてみたら、どうも最初は中篇で「オール讀物」に載つたやうなのだ。と言ふのは、中篇を長篇にして講談社から出した、と書いてある資料がネット上にあつたから。つまり、吉田健一が読んだ物と同じではない、といふことなんですよ、hiko8さん、ご免なさい。長篇はダメつてことではないです。オレもいま、それを知つたやうなワケで、けふ本屋で見つけて買はうか買ふまいか迷ひ、角川文庫のものを読んでゐるし、先づ「黒いトランク」を読み直してからにしよう、と、やめたので、……。