2015-06-01

あの、海のやうな緑は

だと思ひ込んでゐたけれど、
この海のやうな緑は
が正しいのだつた。一昨日だつたかな、桐生のスーパー銭湯に行つて露天風呂から見えた山をまへにして、この伊藤整の詩が浮かんだ、
この海のやうな緑は
私の目つきをすつかり染めたに異ひない。
「若い詩人の肖像」に出て来る「憂鬱な夏」の一節。新緑の頃には、いつもこの一節が頭に浮かぶなあ。
山鳩まで
あんな山奥で
なんて眠たげに鳴くんだらう。
と続くのだが、冒頭は、かうだ、
もう私は こんな濃い夏に厭きてしまつた。
夏の暑い日にはこれが頭を過る。
これと「雪明かりの人」。
雪の降る夜毎に
ひとり私を訪ねて来る人がある。
これも雪の季節には思ひ出すし、
中原中也の、生ひ立ちの歌、
私の上に降る雪は
真綿のやうでありました
つてのも、浮かぶ。
詩は暗記するまで読めと言つたのは岡田先生だつたか、星野先生か、それとも吉田健一だつたか。その通りだな。