2015-11-18

忠臣蔵、といふより赤穂事件のこと

テレビでたまたま見た林先生のクイズ番組。歴史の話で、東大の歴史の先生が出てゐて、忠臣蔵の話だつた。まあ忠臣蔵は浄瑠璃から歌舞伎にもなつた仮名手本忠臣蔵なので、もとになつた赤穂事件を取り上げてゐたと思ひます。
で、四十七士が仇討ちに加はつた理由について、東大の本郷和人といふ教授からの質問に対して林先生の答は概ねかうだつた。
仕官のため、新しい就職口を探すため。
確かにさういふ側面もあるでせう。この事件から三十年ほどまへに起きた仇討ちで仕官が叶つたといふ事例から、運が良ければと考へた、と。また討ち入りの装束も真似てゐたやうですから、類似点もある。けど主君の仇討ちではない。それに三百人くらゐゐた家臣のうち四十七人しか残こらなかつたといふことを忘れてゐないでせうか。状況が違ひすぎるのでは。
相手は幕府に力を持つらしい上杉に繋がる吉良上野介、ときの将軍は抜群に頭が切れたと言はれる綱吉で、浅野内匠頭に即日切腹を言ひつけてゐる。表面上の相手は吉良でも、吉良への仇討ちはそのまま公儀、幕府への謀反と受け取られるでせう。これを落としてはいけないのではないですか。一面には仕官といふものもあつたでせう、否定はしません。でもそれだけで切り捨てるのは無理がある。いや、わたしが許させないだけですが。そもそも四十七人に減つたといふことが、自分たちがなにをしようとしてゐるか理解してゐたといふことでせう。
赤穂の義士たちは全員切腹である。それはもちろん覚悟のうへだつた。赤穂の義士を召しかかへたい、と手を挙げる藩があるだらうか。幕府の沙汰に背いた侍ですよ、幕末ならまだしも、まだ五代将軍のご時勢。いまの感覚で見たら的を外しませんかね。芥川以来の近代の奢り、近代以降の見方でしかものが見えない。ネット上には同じやうな意見を持つ人も記事を書いてゐるやうです。
林先生、本郷和人氏の二人は自分ならさう考へる、さういふ行動するといふ意味でのご意見なのでせうね。さうやつて生きてきたからなんでせう。忠義なんてナンセンス、義理や人情なんてものは時間の無駄、余計なものなんでせう。さういふ侍がゐたと信じることは知的ぢやない、といふことですかね。わたしはさう決めつけて二人を見るので、今後は人間として見下します。人を信じるとか、恩を感じるとか、さういふ古臭いと言はれるやうな感じ方や行為を人間の美徳だとわたしは考へるので。
さう言へば、林先生はかつて教へた生徒たちのことを「連中」と呼んでましたが、実に聞き苦しかつたです。確か先生は国語が専門でしたよね。