2005-08-13

してはいけないこと、は「ある」

ついさつき仕事から帰つて、発泡酒の350を飲んでから、まあ、ここまではビールと呼んでもいいかな、使つてるものはそんなに変はらないんだから、なんて腰砕けになりつつも、どうにか醸造アルコールまで(ホントにさうなのか信じられなくなつて来てるが)の日本酒を飲み始め、酔ひが進むうち(どんどん進む、ここでは言へない家庭の事情で苛立つてるから余計)、それが好きで飲んでるといふ人は別にして「その他の雑酒」はやつぱり聖域に踏み込んでるんぢやないか、と。つまり、してはいけないことをしてる、と。
冬に咲く桜は作つてはいけないんだよ。出来るかどうか、やつて見よう、……それは学問として許されること。品種改良も、遺伝子組み換へは、やつぱ聖域でせう。これは本物と見紛ふくらゐの贋もの作りで、自然=そのままといふ意味での自然に対する挑戦ですよ。神とか仏とか、さういふ絶対の存在(絶対なんてないんだよ、絶対に)とかを持ち出さなくても、朝になれば日が昇るといふ程度の自然の営み、自然の力への挑戦だらうね。奢りだね。
やれば出来る。確かにさうだ。それは立派なことだ。でも出来たことをよく考へて見よう。人間がしていいことと、してはいけないことは「ある」。出来ることは、なんでもしていいわけぢやない。さう、なにをしてもいいわけぢやあないんだよ。原爆が作れるから、つて作つて落とさなくてもいいんだ。しないでゐる力。吉田健一は満足の行くことが出来ないなら、しないでゐるだけの勇気、或は怠け心、と言つた。人間は弁へなくてはいけない。これはしてはいけないな、と自制する力。人間だけが地球で暮らしてるわけぢやないんだ。
さう、いまオレは歩かう、つて思つてる。車は便利だけど、どれだけ犠牲になつたこと、それで失はれたものがあつたか。
なんで歩くよりも早くAからBへ移動しなくてはならないやうになつたのか。いつから若いことはいいことで、年寄りはダメになつたのか。
そもそもの発端は産業革命以降だよなあ。飛躍するけど。あの辺からをかしくなつたんだよなあ。日本は更に明治維新。これが大きく絡んでるやうな気がしてならない。今の日本には。この似非儒教的日本の現状に。
産業革命の象徴は万博。産業革命以降、人間が失つた心を取り戻さなくては、つていふ時代に、まだ万博だつて。
してはいけないことは「ある」よ。