2005-08-22

こないだお盆に帰省して、弟と話したことで

立川談志の公演の話で、談志が高座で話し始めたら「聞こえない」といふ野次が飛んだ。マイクの調子もあつたかも知れない。ちよつと離れてたから。ただこの一言で談志は婉曲的に怒りをぶつけて来た。と言ふのは談志は芸人であり、芸人がお客にストレートな意見を言つてはいけないから。マイクの音を消してくれ、使はないで話す、と。
以前東横落語会で人間国宝だつた小さんを見たことがある。小さんは頭を下げてから話し始めたのだが、ボソボソ喋るだけで、何を言つてるのか聞き取れない。けしてザワザワと煩かつたわけではない。それにあの時は弟と2人で結構前のはうで見てゐたのだが、聞こえない、聞き取れない。でも誰一人「聞こえない」なんてことは言はない。そのうちに場内がシーンとして来た。みんな何を言つてるのか聞かうしたわけだ。すると、小さんの声は次第に大きくなつて、なんだ声が出ないわけぢやないんだ、とハネてから理由は解らないまま弟と話したことがあつた。
その後、ある機会に「ゴミ鎮め」といふ技があるのを知つた。それは、静かにさせるために、わざと声を小さくして、静かになつたら普通に戻す、といふ技。つまり小さんはあの時、会場が煩いと感じたのだらう。或はその場の雰囲気が自分の噺を聞かうしてゐるやうには見えない、思へない、感じられない(どれでもいいが)だつたのだらう。小さん側の理由までは立ち入らないが、自分の噺に集中させるために、わざと聞こえないやうな声で始めたのだと漸く知つたのだつた。
さて、あの時の談志は。
オレはいま「ゴミ鎮め」をやつてるんだよ、と言ふ芸人はゐないだらう。談志なら言ひさうだと思ふ人もゐるだらう。いやいや、談志は与へてゐる印象よりもずつと繊細なのだ。それは芸に出てるでせう。と言ふより繊細でなければ芸なんて出来ないでせう。少なくともその道で生きて行けるまでにはなれない。
「聞こえない」つて言ふ前に聞かうとする。小さんの時みたいに、こつちから。人間国宝だからさうしたわけぢやない。そんなのもつと後の話だし、よりもそれが聞き手のマナーではないか。どうやつても聞こえない。でもそれを相手にぶつけるのではなくて、後で「談志も声が出なくなつたなあ」と連れに言へばいいのだ。それが出来ないなら談志を聞かないでほしい。いや、落語を聞かないでほしい。