2009-08-20

ことえりが変だ

まへは変換出来ない文字や記号はメニューバーのことえりをクリックするとコードや記号の一覧が出て来て○の中に1が入つてるのや、ローマ数字とかも選べたのに。どうやつて入れるんだよ。
わかつた、言語環境の入力メニューで文字パレットとかなパレットが選択されてなかつた、……でも、急にさうなつたのは、やはりをかしいぞ。

2009-08-10

続けて言へば、赤紙

忌み嫌ふものを配達すること。それが戦時中の赤紙配達に重なるのでせうか、星新一の場合。しかし、間瀬元朗の世代であつても、さうなのか。ほかの伝達手段はないのか。
と言ふか、未来といふ設定であればどんなことでも言へるので、事前に通知なんてこともなく、いきなりスイッチが入つて死ぬ、といふことさへも法的に、国家的に決定できないかな。そのはうが死ぬはうには楽だよ、きつと。

2009-08-06

似てゐれば盗作なのか

確かに間瀬元朗の「イキガミ」と星新一の「生活維持省」は似てゐる。人口増加を防ぐために国が決めた、つまり国民の同意のもとに行はれてゐること、対象者は無作為に選ばれてゐること、公的な機関が対象者に知らせに行くこと、この3つは同じだ。だから盗作だ、と星新一の娘は考へて筒井康隆に相談したさうだ(Wiki)。
だけど、かういふ発想はそんなに珍しいものではないでせう。奇想天外な発想ではないと思ふ。割と誰でも、誰でもは大袈裟でも、案外かういふ発想を持つ人はゐるでせう。現にオレだつて似たやうなことは考へたことがある。まあ、それは「生活維持省」を読んだからだ、と言はれたら、「イキガミ」を読んで、それが盗作だと一部では言はれてゐて、それが星新一の「生活維持省」だと知るまで、初めて聞いた題名だと思つたくらゐで、読んだ記憶もなかつたから、オリジナルだと主張は出来ないけれども。
「生活維持省」は文庫本で10頁のもの。長さがどうの、ではないが、細かいところまで「イキガミ」は具体的に──小学校入学時に注射する、とか設定してゐるし、残された時間で人はなにをするか、といふドラマのはうに焦点があるので、これを盗作と呼ぶのはどうだらう。
1971年に出た新潮文庫の「ボッコちゃん」で、オレも含めた殆どの人──もちろん、読んだ人の殆どが「生活維持省」を読んだわけだ。一方の「イキガミ」は2004年の週刊ヤングサンデーの読み切りとして登場した、とWikiには出てる──序でに言ふと間瀬元朗は1969年生まれ、だから現在40歳──けど、1971年と2004年、33年もたつてから書かれたワケで、2004年なんてオレにとつちやあ、ついこないだで、なにが言ひたいか言ふと、1971年なんて携帯電話もインターネットも普及してない時代の発想と、2004年から見た更に未来の予想とがあんまり変らないのは、逆に情けないんぢやないか、といふこと。