2015-09-26

ああ、終つた

ホント疲れた。ヘトヘトだよ。でも上手くいつたし、満点でしよ、与へられた状況の中では。たくさんの人の協力がないとできないこと、さういふことにかかはるのはホントは嫌ひで、苦手だ。1人でできることを自分のペースでやるのがいい。わがままな性格なので。
ただ、達成感は1人でやる作業よりも数倍ある。疲労もその分多いけど。
一部の人に負担をかけたなあ、と思ふ。そのお陰は大きいね。これを止むを得ないことだと割り切れないんだ。かういふことは理屈ではないんで、そんなに長時間の勤務はイヤだと言はれたら、それでお仕舞ひ。
ま、なんの話かわからんでせうが、さういふことさ。

2015-09-24

原因は国語の授業ですからア(ギター侍、古い!)

9月17日の読売新聞。手書きの文字の字形について、かういふコラムがあつた。どういふ人を対象にしたのか書いてないが、常用漢字表にある漢字の幾つかについて字形に関する調査をしたらしい。どういふことか、字形なんて言つてもわからないでせう。
例へば「木」の縦棒を止めるか、刎ねるか。「女」の「ノ」が横棒から出てもいいのかどうか。さういふ手書きの文字の正誤についての調査らしいね。で、「木」の刎ねるを×にした人が多い、と。正しいものは一つだけだと解答する人が多い、と。
で、それはパソコンの普及によるものだ、と。
呆れてものが言へない。パソコンなんかぢやないよ、学校ですよ。学校の国語の授業で×にしてるんだよ。後は漢字検定とかいふ怪しいものが、正解は一つにしてるんだよ。
常用漢字表は知らないが、昔の当用漢字音訓表には附表があつて、書き順も含めて目安であり、止めるも刎ねるも×とはしない、参考だ、と説明してゐるんだけど、それではテストで点数に差が出ないから、刎ねたら×、つてしてるんだよ。
パソコンも一役買つてるかもしれないが。
文字は教科書体の字だけが正しいワケぢやない。フォントはタイポグラフィーといふデザインの分野ですから。相田みつをさんも書家だしデザイナーですから。
久し振りに記事書きました。気持ちに少し余裕ができたので。

2015-09-17

思ひきり食べよう、思ひきり生きよう

といふCMがあつて、なんのCMだつたか思ひ付かなくて、でも気になつてゐたんだけど、きのふ漸くポリグリップといふ入歯安定剤のものだとわかつた。
この「思ひきり生きよう」つて、いいなあ。もちろん「思ひきり食べよう」つてのもいい。宣伝したいのは商品の品質の良さなんだらうけど、違ふ意味で、いい言葉だなあ、と思ふ。
といふのも、最近のマスコミ、ネットを含めた情報の洪水は、あれが体に良い悪い、あれが太る、コンビニ弁当は添加物だらけで、ポテトチップスは脂がどうした、砂糖は体を冷やすから良くないだの、塩分は高血圧とは関係ないだの、なにはなんといふ病気のもとだのと、オレも結構毒されて気触れて(気が触れるみたいに見えますが、かぶれるといふ言葉の宛て字です)るけど、いみじくも田中小実昌が看破したやうに「健康のためなら死んでもいい」と言はんばかり。その中で「思ひきり食べよう」は、いいよね。そんで、「思ひきり生きよう」は、もつといい言葉だ。合言葉にして合唱したいくらゐだよ。
オレを筆頭にして、いま殆どの人間は、本来の意味での、観念の複合体としてのコンプレックスの塊になつてゐると思ふ。無意識や潜在意識なんていふフロイトの玩具は引き合ひに出さなくても、誰もが少なからず、どこかで思ひきり生きてゐない、生きられない社会の構造になつてるんぢやないか、詰まらない情報が氾濫して、オレはなにをしたいのか、オレはどうしたいのか、いいや、もつと単純な話で、オレはいまなにが食べたいのかさへ、はつきり言へなくなつてゐる気がする。まはりのコメントをまつたく気にしないで、思ひきり食べたいし、思ひきり生きたい、とさう思ふ。(疲弊してるのは、オレだけだつたりして)

2015-09-10

夢は事実だと思ふ

現実ではないかもしれないが、事実として、実際にあつたこと、として体験してゐると思ふ。まあ、根拠といふか、証明はできないけど、実感として。だつて今朝の夢の中で財布を失くした話なんてもう、現実と区別がつかなくて、たんへんだつたのだよ。

2015-09-09

その続き

脳はホログラフィックだといふのは納得できますね。だから右脳左脳なんていふ還元主義的な詰まらない説明よりもダイナミックだし、現実的だ。さういふ役割分担みたいなものは建前でせう。内蔵もきつとさうだし、胃を半分取つても胃は胃として機能する、脳の一部を切除しても脳は脳として機能する、それはホログラフィックだからだと解釈してる。
光が波動であつたり、粒子であつたり、それと同じやうに、見える世界は例へば粒子の世界で、見えない世界は波動である、みたいな説明を自分では考へてたんだけど、ペンローズはもっと面白さうなんだ。
あのエッシャーとペンローズは交流があつた、といふのも面白いね。
波動としての世界は、例へば水の中に見る世界だらうか。

ではペンローズの続き

実はペンローズは「ペンローズのねじれた四次元」といふ本を読んでゐる。講談社のブルーバックスで著者は竹内薫といふ人。奥付に読み終へた日が記入してないので、ホントに読み終へたかどうか。兎に角、殆どわからなかつたことは覚えてゐる。
ざつと、けふ昼休みに読み返したけど、やつぱりわからない。量子力学はその言はんとすることはわかるんだけど、説明についていけないのだよ。計算式やいろいろ。
例へば、この本「ペンローズのねじれた四次元」でも、光が粒子でもあり波動でもある、或は粒子か波動かといふ説明で、デヴィッド・ボームのところ(P149辺り以降)は数式を除けばなにが言ひたいのか、なんとなくわかる。
といふのも、ボームは「空像としての世界」といふ本で知つてゐるし、著書「断片と全体」も読んでゐるから名前だけはよく知つてる、といふだけなんだけど。
で、なにが言ひたいかといふと、オレはこないだの記憶の話で、脳に記憶はない、と感じたと書いたけど、といふか、脳つて見えるものを制限してゐる気がするし、都合のいいやうにしか見せない装置で、思考を含めて脳が行つてゐると言はれるものは、実は脳の中ではなく、外にあつて、脳はそれを変換してゐるだけぢやないかと思つてゐるんだけど、ペンローズも脳や意識に対して似たやうなことを言つてるらしい、とそんな気がしたのだ。
なにを言つてるか、よくわかんないよね。オレもよくわかんない。
なのでペンローズの意識に関する本を買つて読む気になつたら、とんでもなく高いので驚いてしまつた。「皇帝の新しい心」といふんだけど、定価が7,992円。!!本の値段とは思へないでせう。ニューサイエンス系の本を幾つか購入した時期があつて、どれも安くはなかつたけど、一番高かつたカール・プリプラムの「脳の言語」でさへ6,695円だつた。消費税8%ではそんなに変らないかもしれないけどね。
で、と2つ目の「で」なんだけど、このカール・プリプラムの言ふやうに脳はホログラフィックな構造をしてゐるのなら、記憶が脳の外にあつてもをかしくないんぢやないか。
量子論で脳や意識は説明できるんぢやないかと思ふ。心理学や精神分析みたいな怪しげな科学ではなく、物理や数学で説明されるはうが納得できるやうに思ふ。
で、と3つ目の「で」で、何が言ひたいのかわからなくなつてきた。明日以降に持ち越します。

iPod Touchを落としてしまつた!

あツと思つた瞬間。間に合はなかつた。もう気持ちがグチヤグチヤ。右の角に傷が。ああ、瑕もんになつちまつた!!
といふワケで、ずつと棚上げになつてる、見えるものと見えないものの話を書かうしてゐたら、なんと面白さうな理論を見つけてしまつたのです。まだよく読んでないけど。ロジャー・ペンローズの量子脳理論といふもので、また気触れちまひさうです。

2015-09-04

それは残念

いやあ、もう一度焼きそばを食べたかつた。さういふこともあるんだね。
ところで、全然、関係ないんだけど、きのふ出くはした話を書かうとして、そのまへに、暫く洗濯ができないし、けふ大汗かいたので脱いだ物が臭いと言はれさうだし、これから干しても朝には乾きさうな気がして洗濯機をまはしたんだけど、それについて下で、誰がこんな時間に洗濯機まはしてんだあ、といふお叱りの声が聞こえてきた。オレだよ、と言つたけど無視された。それとも聞こえなかつたか。
いやはや、洗濯も大変です。
実はきのふ、織姫に向けて歩き始めて、朝倉の文真堂に近づいたら、白鳥の湖が聞こえてきた。
ええ?どこから聞こえるの?
第二幕の「情景」つていふ曲ですかね、あれが聞こえてる。まさかメル・ブルックスの「高所恐怖症」みたいなバスにオーケストラが乗つてゐて演奏してるなんてことはないよな、と思つたけど、……わかりました。その正体は、一台の車の中から聞こえてゐたのです。結構ケバい化粧の(職場にも似たやうな人はゐますが、こちらはもつとお若いやうでした)、頭のうへにリボンを結んだ女性が運転する車からでした。いやあ、オレもときどき大きな音でCDなどを聞いてることがありますが、ここまでは大きくしないよなあ、……。吃驚。

サンユウシュウ

今日久し振りにヤキソバを食べようと出かけたら、 8月31日迄で三友軒が閉店していた。三友終だ。 もう宇宙一のタンメンもヤキソバも食えないのか。 残念です。また、お気に入りを探さねば。

2015-09-02

ウェス・クレイヴン没

8月30日に亡くなりました。ご冥福を祈ります。「エルム街の悪夢」の監督で、「スクリーム」といふシリーズもあつた。どつちもお気に入り。明日は休みなので、ゆつくり見るかな。