2010-03-29

いい年をして、その小生意気な態度は猛省し控へなくてはならない

何様だ。──オレ様か。例へば些細なことにケチを付けるのは自信がないことの裏返しだらう。さうやって自分が優位に立つた気になる。誰かさんのことぢやない、オレのことだ。実に情けない。見苦しいヤツだ。常用漢字改定も、なんか、オレは知つてるんだぞ目線、上から目線だなあ。なにを知つてるのだ、おまへは、いやオレは。素直に、さう、素直さがない。自分はさう習つたから、簡単には方針を変へないでほしいし、それ以外の漢字もどんどん覚えて使つていいんだ、と明確にしてほしいだけなんだ。

2010-03-22

ロバート・ラウシェンバーグについて調べてゐたのだ

さうしたら、彼はジョン・ケージの教へ子だといふことが判つた。不思議な偶然。さうして更にジョン・ケージを調べたら、彼はなんと1948年にノースカロライナ州ブラック・マウンテン・カレッジで先生をやつてた頃、バックミンスター・フラーもそこで先生をやつてゐたのだといふぢやないか。当時、フラーは53歳、ジョン・ケージは36歳、ラウシェンバーグは23歳。
さう、フラーについて話したかつた。まへにも書いてるかも知れないが、宇宙船地球号といふのはフラーが最初に言つたのだ。

2010-03-19

バックミンスター・フラーの話をしたい

円周率は3.14。
これは小数点以下2桁で切つてゐるからで、実はもつと長くて割り切れない、何桁覚えてゐるかでギネスに載る(?)くらゐなのだが、なにを馬鹿な、自然はそんな割り切れない数字ではできてゐない、と言つたのがバックミンスター・フラー。
ジオデシック・ドーム・ハウスの発明者。この人とロバート・ラウシェンバーグがジョン・ケージを経由して繋がつた、といふ話をしたかつたのだが、……もう眠くなつてしまつた。

2010-03-15

要は、建立をケンリツと読んでもいいのか、といふことです

早急はソウキュウでもいい、相殺はソウサツでもいい、と。一度覚えれば済むことを読みちがへる人が多いから、それも認めませう、といふことか。甘やかすのもほどほど、ぢやなくて馬鹿するのもいい加減にしろ、だね。第一さあ、知らなくて間違つて恥かいて覚える、その繰り返しだよ、人生なんてさあ。

2010-03-10

常用漢字表改定の3

基本的には義務教育の9年間で教へる漢字の数を幾つと統一するのには反対はしない。それを当用漢字と呼ばうが常用漢字だらうが構はない。その扱ひに疑問がある。常用漢字以外の字は名前で使へない、とか。学校で習つてない漢字はテストで書いてはいけない、とか。
もともと「1981年10月1日に昭和56年内閣告示第1号「常用漢字表」の「本表」により発表された漢字使用の目安」で「法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等、一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収め、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安」(答申前文)を示し、1945字からなる。目的は「漢字使用の目安であって制限ではないため、強制力を有するものではない」が、「マスメディアのほとんどは、常用漢字のほかに使用可能な漢字を独自にまたは任意に選定し、常用漢字に準用している。一般的な新聞は、日本新聞協会用語懇談会が示す新聞漢字表に基づき、各社で多少手を加えて、漢字使用を運用している」のださうだ。(以上wikipedia、以下の引用部分も同様)
しかし「法令では常用漢字のみを使用すること」が原則であり、語そのものの言ひかへ、その字のみの平仮名書き、初出の際にルビで対応するなどの運用をしてゐた。例へば「抛棄」を「放棄」に改め、「だ捕」(拿捕)「改ざん」(改竄)「隠ぺい」(隠蔽)など平仮名と併記する。
この法令の部分が悪影響してゐるんだらうなあ。使つちやダメ、使ふのは悪いことだ、といふ風に誤解される。文字を扱ふ新聞が黙つてるんだから。準用だから。準用の新聞漢字表だから。お上に頭が上がらないんだから。なんでも使つて、常用漢字表にないものはルビにすればいいだけだらうに。お陰で読めない字が増え、漢字に関はるクイズ番組が大流行りだ。漢字検定も、さう。要するに新しい商売を生んでしまつたワケだ。悪いことではないが。
かうやつて、漢字の使用が為政者からの制限でをかしな具合に変化してきた、させられたのに、いかにも自然の流れで変化したみたいな言ひかたするのは、どうだらうね。言葉は変化するでせう。環境がかはれば使はない言葉も出てくる。しかし、ある時期に国から、或は占領軍から意図的に、強制的にかへられたといふことは、けして自然な変化なんかぢやない。仮名遣ひもさうだし、漢字も。それと書き順も、正しいものはあるんだけど、それにとらはれない、と添へ書きがあつたはずなのだが、……。

2010-03-06

買つてしまつた

正式タイトル=VICTORY DRIVE 歌劇「魔笛」より〜夜の女王のアリア〜。
序でにPunjab kabab HouseのOomph。Canned HeatのGoin' Up the Countryも買つちまつた。

トヨタのCMで流れる曲

ずつとフィガロのアリアだと思つてました。魔笛の夜の女王のアリアだつたんだ。誰が歌つてるかも判つた。よく見ると左下に♪Yuccaつて出るんだね。YouTubeで確認しました。Yucca本人が歌つてる映像もありました。早速Amazonで検索。プリ・マドンナつていふアルバムがあつて、その中にこの曲がある。かうして打つてるあひだもjplayerで繰り返し流して聞いてるんだけど、44秒しか聞けない。この曲だけでもほしいなあ。どうする?買ふか。

常用漢字表改定の2

前回、「改訂」のまま気づかなかつた。「改定」が正しい。こんなザマで意見をするのも内心忸怩たるものがあるけれども、意見は意見。
なぜ楊逸氏を選んだのか。考へてみた。たぶん、漢字はもともとは中国からやつてきた文字だから、と読売新聞のこの記事の担当者は考へたんだらうね。しかし、それはきのふけふの話ではない。This Is a Penなんかよりもまへ、コンセプトだの、インフラだの、イミフな外来語よりも、ずうつと古いんだぞ。
漢字が日本に来たのは5世紀から6世紀ださうだ(wikipedia=日本における漢字)。既に1,500年ものあひだ日本で独自に使はれ来た漢字について、1956年に簡体字になつてから(恐らく)生まれたであらう中国の人に聞いても仕方あるまい、とは考へなかつたのだらうか。聞かれたはうでも返答に困る。が、実に堂々と、いやヌケヌケと──少なくともオレは楊逸氏よりも長く日本語を話し、漢字を使つてゐる自信があるので、敢へてさう言はせて貰ふ──発言してゐる。
「中国は識字率を上げるために簡体字にした」──が、そのことで実際に識字率は上がつたのかどうかには触れず、またそれが正しいことだつたのかどうかには言及しないまま、「日本は従来の字体への執着が強い。これは、いいところでもあり、悪いところでもあると思うが」なんて言つてる。「悪いところ」を具体的に上げてくれ。文字を大切にすることで悪いところはどこなのか。一瞬、戦争で負けたのは漢字のせゐだから漢字なんてやめてローマ字にしろ、だの、フランス語にしたらどうか、なんて能天気なことをほざいてゐた山本有三や志賀直哉とおんなじだなあ、と思つてしまつたが、識字率といふものが、それほど重要なのだらうか。どうでもいいとは思はない。思はないが、字を簡単にして覚えやすくするのでなく、祖先から伝はつて来た文字でたくさんの書物も残されてゐる、その文字そのものを略字にして読みにくくするのではなくて、逆に教へ方、勉強の仕方を工夫して、よりたくさんの字を読み書きできるやうに考へるのが識字率を上げるために執るべき方法ではないのか。教育といふのはさういふことを言ふんぢやないか。
挙げ句には「いっそ使い勝手がいいように、例えばしんにゅうも、点一つに統一したらいい」だと。あなたに言はれたくないよ。それに「しんにょう」だし。岩波(うちにあるのは第3版)を引いてみろ。「しんにゅう」では出てない。最後に「▽「しんにゅう」とも言う」と出てる。新明解とか、その辺の、言葉は時代とともにかはるんだから、いまかう言ふんだから、それでいいよね、的な、無責任な迎合辞書は「しんにゅう」で引けるかも知れないが、岩波は違ふ(いまの版ではどうなつてるのか、……ちよつと不安)。絶対「しんにょう」が正しい。高校のときの現代国語の岡田先生が言つてたんだから間違ひない。
それに「しんにょう」はもとは点二つだ。当用漢字に入れる字だけ一つにしたから面倒になつたのだ。逆だよ。一つのもあれば、二つのもある、ではなくて、もともと二つで一つの字を作つちまつたから二種類になつた。点一つ減らしたくらゐで日本では識字率がどれだけ向上したんだらう。行政の体質と言ふのか、思想のなさがよく判る。減らすと決めれば、点一つでも減らさうとする。頑固なんぢやない、頑迷なだけ。垢抜けねえよなあ。田舎侍が天下を取るから、かういふことになる。いまも事業仕分けの第二弾だ、なんて、はしやいでる議員がゐるけれど、まへにも言つたとほり、先づあなたがた国会議員が議員として優遇されてゐる点を見直したうへでやれよ。てめえの首を洗つてからだろ。ガキぢやねえんだから、そのくれえのことは判るだろ。──話が逸れてしまつた。
更に「鬱」の字が試案では追加されるさうなのだが、「この字を正しく掛ける人はほとんどいない」し、「そんな字は多数」あるから「字の原形をとどめたまま、思い切って画数を減らしてもいい」「難しすぎて消えてしまうなら、略して残した方がいい」だとさ。思ひつきで、無責任なことは言はないものだ。簡単にすることで便利になることはあつても、それで失はれるものもたくさんある、といふことを考へてみてほしい。さうやつて失つて来たものが、いまの日本には多過ぎる。遠まはりしようよ、手間を掛けようよ、ゆつくり歩かうよ。Enoが昔Ambientを始めた頃に言つてたみたいに、時代はそんなに急いでなんかゐないんだ。急いで突つ走つた先にあるのは死だたけだ、とH・ミラーも言つてるし。

2010-03-04

常用漢字表改定

といふ新聞の記事があつた。3月1日付読売新聞13面。現在、常用漢字表の改訂作業が大詰めを迎へてゐる、と始まる。文化庁の文化審議会の国語分科会が去年の10月に第2試案といふのを出し、それに対する国民の意見を踏まへて答申を纏める、と説明がある。国民の意見をどう聞くのか、国勢調査みたいに全戸にアンケートでも送るのか、国民投票みたいなものなのか、どんな方法なのか聞いてみたい気がするが、どうせ適当に誤摩化して試案通り決まりました、とか言ふんだらう。こんなことが進められてゐることも知らなかつたのは、ふだん言葉についてあれこれ言ふのだから、不勉強では済まないぞ。
このことについて読売新聞は3人の意見を聞いてゐる。書家で京都精華大学教授の石川九楊氏、芥川賞作家の楊逸(ヤン・イー)氏、国語分科会漢字小委員会委員で改訂作業に直接かかはつてゐる京都大学教授の阿辻哲次氏の3人。この記事について考へよう。──とは言ふものの、考へるもなにも、こつちの意見はもう決まつてゐるんだから、ただの批判なのだ。
先づ、芥川賞作家の楊逸氏に意見を聞く理由がわからん。中国の人だよ。国籍は、いまどうなつてゐるか知らないけれども。国籍がどうでも、少なくとも日本語を母国語として使ふ人ではない。日常語として使ふとしても、だ。
それよりも先づ、かうした常用漢字、まへは当用漢字と言つてた漢字使用の制限について、一体どんな目的で制限しなくてはならないのか。もう一度おさらひをしてから始める。中国は簡体字にした経緯がある。ほかの国ではどうなのか。他人の意見を気にするみたいで厭だけど、例へば欧米で、そんな制限があるのだらうか。英語で、或はフランス語、ドイツ語、などなど。
どうやら識字率といふのがポイントらしい。

2010-03-03

後藤明生の「笑い地獄」を見つけた

朝倉のBookOffで、文庫で、しかも105円だつた。単行本をそのまま文庫にしたものではなくて、恐らく集英社文庫の「ある戦いの記録」(02.10.02読了)みたいな寄せ集めだらう。表紙は左上の角が軽く反つてゐるけれども、贅沢は言つてられない。殆どの著作が絶版なのだから。けふはなんて運がいいんだらう。

確かにEnoは「いい」のだ

ソロになつて4枚続けて歌ありのが出た。あれの特にまへの2枚が好み。Here Come The Warm JetsとTaking Tiger Mountainが好きなのだ。David Byrneと一緒のEverything That Happens Will Happen Todayは聞いてみたいと思つてた。iTunes Storeでちよつとだけ視聴してEnoよりもDavid Byrne寄りかな、といふ気がして見送つた経緯がある。Catherine Wheelは持つてたけど曲は思ひだせない。Bush of Ghostも曲は思ひ出せない。