小さんもさうだけど、
ペヤングの小益が桂文楽になつた時には驚いた。ペヤングだから、でも、小益だからでもなく、これらのことが桂文楽といふ噺家に対してオレが持つてゐる印象と結びつかなかつたから。こぶ平が正蔵を継ぐのはまあ、解る。けど、それは勿論、彦六の正蔵との繋がりだつたら、やつぱり意外に感じると思ふ。三平の親父で名人と言はれた(三平が枕で「名人に2代なし、うちの親父は名人でした、」つて言ふの好きだなあ)正蔵は知らないからかも。三木助が親父の名前を継いだ時も、そんな感じだつたな。……で、弟のコメントへの返事なんだけど、三語楼の噺を聞いたことないんだよね。確か、もう1人息子が噺家やつてるよねえ、名前が出て来ないけど。実はそつちの人も聞いたことがない(誠に個人的な意見だけど、表情がダメ、なんか蟹つぽくないかい?)。オレは小三治が継いだらいいな、と思つてたんだ。死んぢやつた志ん朝に志ん生になつてほしいな、といふ思ひに近いかな。馬生が志ん朝に継がしたい、と言つてた話とか思ひ出すなあ。歌舞伎みたいに落語も古典芸能、藝術といふワケで、世襲制になるのでせう。談志は恐らく、さういふ風潮がイヤなんぢやないかな。関係ないけど、鈴々舎馬風が次の落語協会だつたか、落語芸術協会だつたかの会長になるといふ話、実際「会長への道」なんていふネタも聞いたことあるけど。どうなんだらうねえ、洒落として聞けないよねえ、生臭ひと言ふか。