2016-01-27

けふの発見

織姫への道すがら、ふと気がついた。
セブンイレブンがない。
特にオレはセブンイレブン・フリークといふワケではないし、逆になるべくセブンイレブンを始めとするコンビニで弁当やおにぎりを買ひ控へしてゐるくらゐだ。
自宅から足利市民プラザの通りを北上して織姫へ行くときにですね、進行方向の左側にコンビニがないといふことに気がついてゐたのですが、どのくらゐの距離になるのかは考へなかつたのです。
で、けふちよつと調べてみた、といふか歩きながら確かめたワケです。
堀込薬師から市役所の交差点まで、左側の道路沿ひには一軒もコンビニがない。吃驚するよねえ。一本入れば、ある。でも道路沿ひには、ない。右側にはある。堀込薬師の反対側にローソンがあつて、ナポリの食卓の隣にミニストップがある。でも、それだけ。その先には、ないんだよ。東武線の駅前にセブンイレブンがあるけど、この道沿ひにはない。
因みに堀込薬師から市役所前まではジョギングシュミレーターで計つたら約4km。このあひだにコンビニが2軒。信じられない。なにか市の規制があるんだらうか。

2016-01-25

見えるものと見えないものと、その弐

織姫詣の帰りに、以前弁当屋さんがあつた空き家のまへを通つて記憶が蘇つたといふ話から、脳には記憶がないんだといふ話をした。脳には欠片、スイッチみたいなものしかないんだ、と思ふ、と。寧ろ記憶は、記録されたものはその場所、その空気みたいなものに織り込まれてゐるんぢやないか、と。偏在するといふ言ひ方でいいのかなあ。
で、例へば、いま私が見てゐるもの、見てゐる映像といふか世界は脳が見せてゐるものだ。たぶんこれは間違ひない。けれども目は、視覚として見えてゐると脳が理解してゐる以外のものも捉へてゐるのではないか。なぜこんな風にしか見えないのか。脳にとって都合がいいからではないか。人間が生きて行く上で必要な世界を人間の脳は見せてゐる。
別の場、見えない場がある、脳が切り捨ててゐる世界の画像、映像があるんぢやないか。
人間の視覚には光が重要だが、光は粒子としての振る舞ひと波動としての振る舞ひがあると言ふでせう。人間が見てゐるものは、光の粒子としての振る舞ひを見てゐるのではないか。だとすれば、全然違ふ見え方があるんぢやないか。
粒子ではない、波動としての振る舞ひを捉えるときに、世界はどう見えるのだらう。例へば水の中のやうな世界ぢやないか、と思ふんだけど。

2016-01-23

フィトケミカルかファイトケミカルか

phytochemicalといふのがその綴り。以下「わかさの秘密」といふ、この記事のタイトルでネット検索したら見つかつたサイトから語の意味だけなので勝手に引用しました。
ギリシャ語で「ファイト(phyto)」は「植物」、「ケミカル(chemical)」は「化学物質」という意味なので、「ファイトケミカル(phytochemical)」は「植物由来の化学物質」。
意味はいいんだけど、ちよつとまへまでは確かフィトケミカルと呼んでゐたと思ふ。それが最近の、健康に関する書物ではファイトケミカルになつてゐて、どつちが正しいのか判らない。統一できないんだらうか。似てるけど違ふの?つていふ差だよ。面倒だなあ、言ひ間違ひは恥かしいからねえ、好いトシこいて。
具体的に手元にある本で調べると、
2008年に初版刊行の「夜中にラーメンを食べても太らない技術」(伊達友美著・扶桑社新書)といふ座右の書の中で、
P112「フィトケミカル」で体内の酸化を防ぐ
といふ小見出しがある。
一方、これも座右の書、2009年に初版刊行の「9割の病気は自分で治せる」(岡本裕著・中経の文庫)には、
P189の左端から7行目、
「それはファイトケミカルなど、ビタミンが吸収されたり云々」
2008年と2009年、一年で、もう違ふ。
序でに、フコイダンのことも。或る医師の書いた本の中に「フコダイン」つて書いてあつて、「フコイダン」ぢやねえの?どつちだよ、製品名には「フコイダン」と書いてあるので、こちらが正しい、と理解してゐる。

2016-01-20

なんで天気予想つて言はないんだろ、偉さうに天気図で説明してるクセに外れる

まつたく天気予報なんて宛にならないよなあ、晴れの予報で朝から雪だから。昼近くになつて見たら雪のマークに変更されてる。後から修正してたんぢや予報ぢやねえだろ。天気予報官の説明を聞いてゐて笑つたことが何度ある?つて、ストラングラーズのAlways The Sunに出て来るよなあ、まつたく。

2016-01-14

今度は春団治師匠の訃報

好きだつたなあ、you tubeで見よう。ご冥福を祈ります。

2016-01-12

とつぜんの、悲しい知らせ

ゆふべテレビを見てたら、アナウンサーがとつぜんこんなことを言ふ、デビッド・ボウイが死んだ、と。一瞬、意味がわからなかつた。さういふ言葉だけが耳にあつた。その意味を飲み込んだら、hiko8さんとどうしても共有したくなつて電話した。
新しいアルバムが出たばかりだし、闘病してゐたなんて、ちつとも知らなかつた。
もつと詳しく知りたくて、朝からネットのニュースを幾つも検索して読んだけど、病気の内容については癌だつたといふことしかわからない。たくさんの追悼の言葉があつた中に、最後のアルバムをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティの言葉があつた。「僕は一年前から、こうなることはわかつていた」と。一緒にアルバムを作つてゐたわけだから、知つてゐたのだらう、デビッド・ボウイの病状のことは。
それにしても、とつぜんだ。ご冥福を祈ります、心から。RIP。
(Amazonで彼のアルバムを幾つか検索したら、それらは凡て「一時的に在庫切れ」になつてゐた。)

2016-01-08

マイルスのお勉強をサボつて、フラング・ザッパに開眼

開眼なんていふと大袈裟だが、ここ二三日、ザッパの「シャーク・ヤブーティ」(1979年のアルバム)のカセットを車で聞いてたら、さうか、ザッパはコミック・バンドなんだ、と気がついた。さうしたら、凄く面白くなつた。始めて聞いたマザーズ名義の「いたち野郎」(1970年)も、さういふ遊び心なんでせう、規制の価値観に立ち向かふ前衛的なバンドとして生真面目に聞いてしまひましたが。
さういふつもりでマザーズの最初のアルバム「フリーク・アウト」(1966年)を聞き直してるけど、このまま「シャーク・ヤブーティ」に繋がるなあ。
「チュンガの復讐」(1970年、いまは「チャンガの復讐」と呼ばれてる)を聞きたいなあ。
ザッパは1993年12月4日、52歳で前立腺癌で亡くなりました。因縁、シンクロニシティですかねえ。

2016-01-07

たまたまウェーベルンを聞いてたら指揮者のブーレーズの訃報

ほんとになんとなく折角去年の秋にウェーベルン(ヴェーベルンと読むのが正しいのでせうが、ずつとさう読んできたので)の全集を買つたのに一度だけ通して聞いただけだつたから、けふは休みだし、ゆつくり聞くかなあ、と思つて、最初のパッサカリアを聞き始めた。あ、これは昔レコードで聞いたことがある曲だ、と改めて思ひ出し、聞きながらネットのニュース(もう三箇月くらゐになるかなあ、いまウチでは新聞を購読してゐない)でも見るか、といふワケでNHKニュースからGoogleニュースへ。トップニュースの中に、ブーレーズ氏死去の報が。ほんとに偶然。聞いてたパッサカリアはロンドン・フィルハーモニー・オーケストラ演奏で、指揮はピエール・ブーレーズさんでした。確かレコードもさうでした。因縁、といふと怪談みたいだけど、どこかに縁があつたのでせう。ご冥福を祈ります。

2016-01-04

花火の音

どうでもいいやうな話なんだけど、ウェザー・リポートの曲にBlack Marketつていふのがあつて、花火の音が入つてるんだよね。それでさういへばY.M.O.のFire Crackerつて曲にも花火の音があるぞ、と。どつちが先なんだらう、と思つて調べました、wikipediaで。Black Marketは1976年のアルバムでFire Crackerは1978年のアルバムでした。真似したとか、さういふことぢやないんでせう。たまたまなんでせう。

2016-01-02

今年の元日

昼間から飲んでしまつて走るなんて無理無理、ウォーギングも休みました。残念。