2009-10-30

せつかちと短気はどう違ふのか、同じなのか

せつかちは急勝(せきかち)の転。先を急いで、心のおちつきがないさま。性急。──で、短気は気短なこと。性急。せつかち。広辞苑第二版より。同じ意味になつちまふよ、大丈夫かい、広辞苑。ちよつと違ふやうな気がするんだけどね。──それから、たたく、と、はたく。はたく、つてのは東京方言、江戸弁ぢやないか、とあてずつぽう。ハタキといふ立派な掃除道具あるぢやあないか。後で調べてみよう。

2009-10-28

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯

昔、NHKで放送した「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」が「ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯」といふ題名になつてDVDBoxセットで出てゐるのを見つけた。By Amazon。VHSビデオに録画して(たぶん3夜連続で最後の日の分だつたかな、お袋だつたか親父に頼んで、野球が延長になつたかで、全部撮れてなかつた気がするが、そのときオレは社員旅行とか、出張とかでウチにゐなかつたのだらうか)、何度か見たものだ。たまに新聞広告にNHKのライブラリィみたいなのが出るが、その都度隅から隅まで見てもなくて、こんなものより「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」だらうが、……と密かに呟く日々だつたのだ。絶対に買ふ、ボーナス入つたら。

2009-10-20

ほぼ40年

「イエロー・リバー」は中学のときだから、40年近いのだ。鯖を読んでしまつた。

2009-10-17

恋に恋して

ずつとバニティ・フェアといふグループが歌つてゐるものだと思つてゐた。もう30年くらゐ、ずうつと、さう信じてゐたので、amazonで検索するときも、.comのamazonでもさうだつたから、該当なしだつたのだ。別の調べ方をすれば辿り着けたのだ。今朝、漸く摑まえた。white plainsといふ名前なのだ。そして曲名はmy baby loves lovin'。CDが出ていた!1枚だけ。……それと、「イエローリバー」。itunes storeで買へる!けふは凄い収穫だ。30年もほしい、もう一度聞きたいと思つてた曲が2曲、消息が判つたのだから。買ふしかない。

2009-10-13

パニックの手

ジョナサン・キャロルの短篇集で、津村秀介の「能登の密室」のあとで読み始めたのだが、2つ読みをへたところで、これはゆつくり読まなきや、と思つたもんで、津村氏が続いた。この創元推理文庫の最後のページがちやうどジョナサン・キャロルの作品を幾つか紹介してゐて、そこにモノクロ写真が載つてる。これで女なのか、と思つてたのが、解説には「彼」つて書いてある。どつちなんだ、とtwitterにつふぶやいたら、それが表示されなくて、どこへ行つたのか判らないまま。送信しなかつたのかな。どつちにしても、ジョナサン・キャロルは公式ホームページを持つてゐて、そこに写真が出てゐた。男でした。ホントにどつちでもいいことでした。

2009-10-09

フォリベルジェールの酒場

といふマネの絵がいまのデスクトップビクチャの中にあつて、ついさつき、右端のはうにあるビールの瓶の柄がバス・ペール・エールなのに気がついた。

またしてもtwitterを始めた。

どのくらゐ経つのか判らないが、1年か2年か、兎に角まへにもtwitterに登録したことがある。さうだ、Mac Peopleで記事を見たのだ。2007年の8月号。石谷氏の必携ツールといふ記事にCot Editorと一緒に出てた──Cot Editorは便利だ。テキストエディットよりも使ひやすい。──そこにはtwitter Podのことが出てたのだが、twitterつてなんだ、に始まり、登録したのだつた。最近、いろいろ頭に浮かぶことがあると、自分のパソコンのメール・アドレス宛に携帯でメールを送つたりしてたのだが、なにかほかにもつと簡単な方法はないか、と探してたら、twitterのことを思ひだしたといふワケだ。──で、一度、脱退といふか、抜けたから、新たにアドレスみたいなものを取得するのだらうと思ひ、登録を始めたら、お帰りなさい、みたいな感じで昔のアドレスといふのか、復活したのには驚いたし、これはtwitterの最初にも思はず書いちまつたが、なんとなく嬉しかつた。ただ、いまのところ、だれもフォローしてないから、オレのつぶやきだけなんだけど、ほぼメールとして使へる。140文字つてのが、ちよつと不満。

2009-10-06

きのふの朝のことだ。

ウチの近くに横断歩道があり、──いや、そのまへに、旗振り当番の説明をしないと判らないかもしれない。小学生の子どもを持つ親は、学校からなのか、市の教育委員会から、それとも自治会からなのかしらないが、とにかく指定された場所で、黄色い横断中と書かれた旗を、かう、道路に差し出して子どもが渡りやすくする、といふ当番が土日祝日を除いた毎朝まはつて来る。
それできのふの朝だ。直ぐ近くの横断歩道で、学校へ行きたくない、と泣いてる子がゐた。男の子で、ランドセルに黄色いカバーがしてあつたので、一年生なのが判つた。旗振りをしてゐるお母さんたち(大抵2人)は、頑張つて学校へ行かう、と説得してゐるが、行きたくないよお、と声を上げて泣いてる。そのうちにどうやつて連絡したたのか、その子のお爺さん(にしては、若く見えたが、それだけオレがトシを取つただけなのか)がやつて来て、取り敢へず学校へ行かう、ずつと一緒にゐるから、と、ほぼさういふ意味のことを言ひ、どうにか子どもも納得したらしく、2人で歩いて行く姿が見えた。
しかし、声を振り絞って泣くほど行きたくないのなら、一日くらゐ休ませたつて、いいぢやないか。なにか深いワケがあるかもしれない。ゆつくりそのワケを聞いてやり、明日行けばいい。──さう考へてしまつたのだが、これつて甘いのかなあ。
こないだ小学三年生の男の子を殺した15歳の少年の記事を見たせゐか。ごめんなさい、つて謝まつてる(ホントは謝る理由なんかない)のにボコボコにして、川だつたか海だつたかに放り込む、その神経、更には取り巻きがゐて笑つてた、といふ証言、9年か10年しか生きてないのに、どんな思ひだつたか、痛いよ、泣きたくなるね、──だから、なにかとんでもなくイヤなことがあるのかもしれないぢやないか。ゆつくり聞いてからでもいいんぢやないか。遅刻したつて、いいさ。
甘いのかなあ。それとも、大袈裟に考へてるのかなあ。