2015-06-23

パソコン用眼鏡のこと

最近目が疲れて、パソコン用の眼鏡を買はうかと思ふ、けふこの頃。視力もかなり落ちてる気がする。仕事で使ふパソコン(これは舞台の音響卓に付いてるはう)の画面の文字が読めない。仕込みに時間が取れればいいけど、時間がないと厳しい。ウチでは走るときに使ふ紫外線予防(近眼で老眼で、これ以上のリスクは背負いたくないから)の度なし眼鏡をかけてバソコンに向かつたりもしてる。
この度なしのサングラスはデザインがいかにも走るとき用なので、同じメーカーのPC眼鏡を買はうかどうしようか迷つてゐた。
JINSといふメーカーで、このサングラスに関しても面白い話があつて、数箇月悩んで買つて、三箇月もしないうちに半額になつてた、といふ代物。非道いねえ。半分の値打ちしかないものなんだね。それでも利益があるんだらうから呆れてしまふ。
ネットでJINSを含めてパソコンの周辺機器を扱ふメーカーだの、いくつか検索しました。
が、どうもいまひとつ納得できない。
なので、そもそもPC用の眼鏡つて必要なものなのか検索しました。辿り着いたのが、ここ。
http://www.m-bsys.com/knowledge/pc-glasses_mistake
とても参考になりました。気になる人は上のアドレスで見てください。
で、家で使つてるパソコンの照度、これまでフルに設定してゐたのですが、半分に。iPadの照度も半分にしました。半分でも別に平気なんですね。暫くこれでやつてみます。

2015-06-22

コンビニなんてちつともコンビニエンスぢやない!

まへにもコンビニが東京から離れて行く、地方へ行くに従つて車が停め易い左側に店舗が少ない、といふ話を書いたけど、けふはその続きではない。
コンビニはなんでも置いてある、かもしれないし、24時間空いてるし、だから便利な面は確かにある。しかし、タダのものは一つもない。金がなければ何も手に入らない、水一杯であつても、だ。
といふのは、けふ、織姫へ走つて行くことにしたのさ。ここんところウォーキングばかりだし、熱も下がつて落ち着いてるやうだし(一昨日熱を出した詳細は省略)。
それほど気温も上がつてないやうだから、出るまへに一杯飲んで、後は神社で水を飲むまで持つだらう、と甘く考へたのが失敗さあね。だから自業自得なので、コンビニに因縁つけるつもりは毛頭ない。
市民プラザを過ぎる辺りから喉がカラカラ。プラザのロビーに水飲むとこあつたかな、なんて考へたけど、そのまま走ることにした。確かめるのが億劫だつたし、行つてみて、なかつたら、もつと落胆するだらうし。
東武の足利駅が見えた頃、交番に寄るかなあ、と思つた。交番が左側にあるんです、高架の下に。けど、水一杯ください、と言へる?お巡りさんに。お巡りさんは、一般市民にはそれはもう親切ですから快く出してくれるでせう、でもその後が。どういふやり取りがあるか、ちよつと面倒くさい。仕方ない、もう少しの辛抱だ。中橋を渡つて足利学校のまへは、以前走つてるオレに味噌汁を差し出してくれた店がある、あそこの角に学校様の水とかなんとか言ふ水が流れ落ちてた筈。どうぞご自由に、と書いてあつたのを見たことがある。そこまで辛抱しよう。
ところが、豈図らんや、月曜はお休みなんですね。学校様のお水はお店のお水でもあるのでせう、定休日には流れてませんでした。そんなもんですよ、人生なんて。
もう喉が渇いて、口ん中カラカラで、唾もない。もしかしたら脱水症状になつて倒れちやふんぢやねえの?なんて状態でも、水が手に入る宛がない。しかもこんなときに限つて賽銭用の5円しか持つてない。去年の9月にもこんなことがあつて、あのときは織姫からの帰りにどしやぶりになつて途方に暮れてたら、竹一さん(フレッセイの裏のはうにある割烹です、必ず飲みに行きますからね、と思ひつつ既に6月)の奥さんが車で追ひかけて来て傘を貸してくれたのだつた。ご恩は一生忘れません。
水が飲みたい。一杯でいい、一口でもいい、織姫までは無理だ。
さうだ、あるぢやないか、鑁阿寺が。あそこにも手水舎がある筈だ。
行つてみた。ありました。大抵の人は恐らく手を洗ふだけでせう、でもオレは必ず一口飲んでしまふ。だつて、喉乾いてんだから、そこに立つときはいつも。
助かりました。でも、ここの手水舎の水はほんとにチョロチョロしか出てない。もう少し気前よく出してくれると、もつと助かります。まはりには結構観光客がゐて、これは織姫も混んでるかな、と思つたら、やつぱり観光客が十数人。お宮参りの人たちもゐました。
このまへは結婚式の人たちが記念写真撮つてゐました。そのまへは映画の撮影がありました。
ところで、タイトルとは直接関係ないことをながなが書いて来て、織姫までに何軒もコンビニがあつたけど、どこにもタダで水を一杯飲ましてくれるところはないのです。ちつともコンビニエンスぢやない!それよりも実は、水持つて出掛けろ!なのでした。帰りは殆ど歩いちやひました。

2015-06-13

岩波国語辞典擁護

同じ岩波書店の辞書であつても、オレは広辞苑よりも岩波国語辞典を基本にしてます。なので、第三版はさすがに古過ぎるかと思ひ、現在第七版になつてゐるので買ひかへようかと思つたワケだ。何度もさう思ひつつ、先送り。3,000円(税別)は安いと思ふんだけど、……。
で、amazonで買ふつもりで検索したら、かういふレビューがあつて意外だつた。そのまま引用します。

点訳をしている。簡単に分かりやすく言うと、全文をカタカナで横書きにする作業。表意〈記号〉に移し替える作業と言ってもいいかとも思う(かなり乱暴な説明ですが)。その時、読みが促音になるかどうかが問題になった場合、たとえば、「三角形」を「さんかくけい」と読むか、「さんかっけい」と読むかを決めなければならない場合、『岩波国語辞典』の表記に従うと、されているので購入したが、収録語数が少ないので、肝心な時に役に立たない!載っていない!

「さんかくけい」で辞書を引くのが基本ですね。「三角」ですから、元は。
で、我が第三版を引いてみると、確かに「さんかくけい」の見出しはありませんが、「三角」の項目の中に「三角形」とあります。因みにP432。
これでレビューの評価2、星2つでは、岩波国語辞典が可哀想すぎる。

訃報

オーネット・コールマン没。「アメリカの空」つていふ1972年のアルバムを最初に買つて聞いたのでした。その道の方々に言はせれば、邪道でせうか。ジャケ買ひだつたかも。それから暫くのあひだ聞くこともなく、とつぜん1988年の「ヴァージン・ビューティ」を聞き、ミステリー・サークルぢやない、ゴールデン・サークルの2枚のライブ。ジョン・コルトレーンが最も尊敬する音楽家としてオーネット・コールマンを挙げたといふ話は、意外なんだけど、なるほどと思つた。
クリストファー・リー没。
ボリス・カーロフ、ピーター・カッシングと同じくらゐオレの中では有名な役者さん。
ご冥福を祈ります。

2015-06-10

どつちでもいいことなんだけど、気になつてしかたがないので調べてみよう

(おんなじやうなことを以前にも書いてるかもしれないが、机のまはりを整理してたらメモが見つかつて、すつきりしないので書きます。)
「進撃の巨人」といふ漫画があつて、アニメにもなつてゐるし、関連する物品も作られてゐる。借りて読んだことがある。内容はここでは触れない。絵についても触れない。この題名だ。これに違和感がある。日本語としてをかしくないのか。
「進撃」と「巨人」を「の」で繋いでゐることに違和感がある、先づ。
では、「の」から行くか。以下、岩波国語辞典第三版からの引用。
「の」は格助詞。その①で「AのB」といふ用法が挙げられてゐる。一番一般的な使ひかたでせうね。例として(─のところに「の」が入る)「銀座─柳」、「父─財産」、「紫─糸」、「帰り─切符」、「日本─国」、「君へ─手紙」、「懐かし─歌」など。
名詞と名詞のあひだに「の」を付ける、といふ使ひ方が多いけど、「進撃」つてのはさあ、寧ろ動詞として使ふものだらう、「進撃する」と。
「進撃」は名・ス自となつてゐて、名は名詞、スは「する」と結合してサ変動詞として用いるもの、自は自動詞。
例へば似たやうなのに「進化」つてのがある。「進化」も名・ス自だ。「進歩」もさう。
もし「進化の巨人」だつたり「進歩の巨人」だつたら、変だと感じるんぢやないか。
「侵入」も名・ス自だけど、「侵入の泥棒」とは言はないだらう。新聞の見出しで慣れちやつてるから、多少をかしな言葉のつながりも変だと感じなくなつてるのかなあ。
「名ナノ」と書いてあるものは「なんとか・の・なんとか」で使つても違和感がない。「高貴な人」、「高級な店」とか。
「進撃する巨人」だつたらなにも言ふことはないんだけどねえ。

2015-06-08

読み間違ひさうな店名

続けて書くぞお。
通勤途中に、かういふ会社がある。まへにも書いたかな?
SHINEI
これはシンエイと読む。自然にさう読める。ただ、「死ねい」とも読める。
で、実家へ行くときに通る新里町のベイシアの近くに、
アキバ工業
といふのがある。実名を出してしまつたが、悪意はないんで、迷惑が掛からなければいいんだけど。このブログを見てる人は限られてるので大丈夫でせう。
「アキバ」工業だと普通に読める。ただ、ゴシックで縦書きなので、「アキバエ」業つて、読みたい衝動に駆られる。「秋蠅」業、一体どんな生業なのかなあ、と。ひねくれ者なので許してください。(「蠅」は「はへ」と歴史的仮名遣ひでは書くので、これだとそんな失礼な衝動には駆られないのにねえ。)

絵が判る、つてどういふことさ

ちよつと長くなるかも知れませんが付き合つてください。
こないだ讀賣新聞の記事でマグリット展について書いてあつた。いつの記事だが忘れたし、いまから新聞のストックをひつくり返して探すのも面倒なので、うろ覚えで書く。実はいろんなところでいろんな人に話してゐるけど、讀賣新聞は勧誘員に対して独身時代の厭な記憶があるからホントは購読したくないのだが、新聞の契約は凡て家人に任せてゐるので、敢て文句は言はない。NHKの集金人にも非道いのがゐて、受信料も払ひたくないのだが、ゆふがたの天気予報は必ず見るので仕方あるまい。
話が逸れてしまつた。マグリット展はいまも開催中なんだらう、ルーブル美術館展も開催中かな。ルーブル美術館と言へばサモトラケのニケとモナリザ、ミロのビーナスの名前が浮かぶんだけど、どうやらこの3点は展示されてゐないらしいので、パスすることにしてゐるが、またしても話が逸れてしまつた。
マグリット展に戻すと、見たいものもあるんだけど、恐らく混雑を極めてゐるだらうと予想されるので、パスすることにしてゐる。混み合つた美術館にはあまり行きたくないのだ。人混みが嫌ひなので。
また話が逸れさうだが、マグリットで実物を見たいのは「大家族」つていふ夜の海の景色に空が鳥の形に切り取られて青空になつてゐるものと、「光の帝国」つていふ、川沿ひにある家の夜景なのに空が青空といふ、これは幾つかバリエーションがあるらしく、そのうちの一つは展示されてるやうだが、もつとも知られた作品のはうは来てないらしい。「大家族」は宇都宮美術館が持つてるから、そつちへ行けばいいし、「光の帝国」は別バージョンのはうには興味がないので、マグリット展は見送るつもりだ、と書いてたら、肝心のタイトル「絵が判る、つてどういふことさ」にちつとも辿り着かないので、この辺で端折る。
そのマグリット展の記事で「超現実主義」の絵といふものに対して「難しい」とか「判り難い」とか、さういふ絵だと思はれがちだが、みたいな口調だつたと記憶する。
うーん、難しい絵つて、どういふことなのか。オレにはわからない。そもそも絵つてのは、解釈する、理解するものなのか。見て、綺麗だなあ、いい色だなあ、あ、かういふの見たことある、本物みたいだ、不思議だなあ、こんなの有り得ない、とか、それで好きか嫌ひか判断する。それでいいんぢやないの?でなければ、オレは絵なんて一つも判らないよ。
逆に聞きたいのは、なら、風景画は判るの?人物画は判るの?判るといふ言ひ方が馴染めないんだよね。風景画や人物画は難しくなく、易しいの?

2015-06-02

小松左京みたいな小父さん

足利麺でラーメン(手打麺・大盛り650円)を食べた帰りに開倫塾を過ぎたところで、太つてゐた頃の小松左京によく似た小父さんが孫らしい娘を斜に抱いて歩いてゐるのとすれ違つた。白いタンクトップ、といふよりランニングに白つぽい半ズボン姿だつた。かう、右手で子どもの脇を、左手で股のあひだから、斜に抱へてゐるのが可笑しかつた。抱き崩れた感じだね。
さう言へば、一年くらゐまへに足利のカインズホーム(開倫塾にも近い)の駐車場で太宰治によく似た人を見掛けたことがある。かなりの痩躯で、身長はオレよりうへだらう、七十五くらゐはあつた。写真で見た太宰治によく似てゐた。それで思つたのは、三島が太宰を嫌つてゐたワケは実は身長へのコンプレックスもあつたんぢやないか、と。三島はオレより低くて160くらゐだつたさうだ。←失礼、三島の身長は163cm、体重50kgで、太宰の身長は173cm、と、ものの本には出てゐる。2015.06.08
ただそれだけの話なんだけど。序でに言ふと足利麺ではやはり殆どの人が麺を啜る音を立てなかつた。食べ難いなあ。代りに隣の卓で食べながら喋りまくつてる男連れ二人。これが声が大きくて閉口した。

2015-06-01

あの、海のやうな緑は

だと思ひ込んでゐたけれど、
この海のやうな緑は
が正しいのだつた。一昨日だつたかな、桐生のスーパー銭湯に行つて露天風呂から見えた山をまへにして、この伊藤整の詩が浮かんだ、
この海のやうな緑は
私の目つきをすつかり染めたに異ひない。
「若い詩人の肖像」に出て来る「憂鬱な夏」の一節。新緑の頃には、いつもこの一節が頭に浮かぶなあ。
山鳩まで
あんな山奥で
なんて眠たげに鳴くんだらう。
と続くのだが、冒頭は、かうだ、
もう私は こんな濃い夏に厭きてしまつた。
夏の暑い日にはこれが頭を過る。
これと「雪明かりの人」。
雪の降る夜毎に
ひとり私を訪ねて来る人がある。
これも雪の季節には思ひ出すし、
中原中也の、生ひ立ちの歌、
私の上に降る雪は
真綿のやうでありました
つてのも、浮かぶ。
詩は暗記するまで読めと言つたのは岡田先生だつたか、星野先生か、それとも吉田健一だつたか。その通りだな。